4月に新社会人となった人はもう3ヶ月が過ぎましたね。1年間の1/4が終わりました。新たな場所、新たな物事というのは覚えることがたくさんです。私の職場の新人看護師さんたちも毎日頑張って出勤してくれています。大変ありがたいことです。
新しい組織に入るということは、先に所属している人間がいることが大半です。程度の差はあれど、教えてくれる人と教えられる人が組織には存在しなくては、組織という形を取れません。でも、教えるって教わるよりも何倍も大変なんですよね。
看護師になって13年。半分くらいの年数は看護師の現場教育にも携わりました。そんな私の指導に対するお悩みのほんの一部について考えていきたいと思います。
その何回目は何回目?
指導の場面で指導者がよく言う言葉にこんな言葉があります。
「それ、前も言ったよね。何回目?」
はい。新人さんが恐怖を覚えるフレーズです。私も新人の時に言われて、「すみません。」と謝ったことがありました。私は看護業界しか経験がないのですが、他の業種や職場でもありがちな言葉ではないのでしょうか?指導者のイラつきが直にわかる恐怖フレーズですよね。恐ろしい。
実はこれ、指導的にはNGなんですよね。とある指導者研修に参加した時の講師の先生いわく、相手が萎縮してしまって聞かなければいけないことも聞けなくなる言葉だそうです。特に医療従事者は確認しながら実施するのは必須事項。経験の浅い新人さんが質問をできなくなる環境というのは非常に良くない。医療は時に患者さんの生命に影響を与えます。ホウレンソウがしっかりできる関係性を作らなくてはいけません。
でも、これは指導者だってわかっています。でも、指導者だって人間ですし、指導だけが仕事ではないのです。通常業務をこなしながら、指導を行なっているわけで、指導の分その先輩の時間は取られるのです。人間なのでイライラしたり焦っていることもあるでしょう。そして、私はそんな場面を見るたびにこう思います。
「コロナの時、毎日同じフレーズを都民に言い続けた小池知事、すごい忍耐力だな。」と。
ええ。今都知事選で注目を浴びる小池百合子氏です。コロナが大流行していた頃、三密回避やソーシャルディスタンスなどのフレーズを毎日毎日ニュースで言い続けた彼女の忍耐に当時から私は関心していました。なぜなら、私はコロナが蔓延っていた時(特にデルタ株の時)にコロナ病棟で働いていました。あれだけニュースで飲み会や県をまたぐ移動は避けて欲しいと言われていたのに、自粛せず、感染している患者さんたちと、日に日に増える感染者数に声を荒げることもなく、根気良く注意を呼びかけていた彼女はすごいと思いました。ちなみにコロナ対応時には濃厚接触者などの確認のために数日の行動を聴取していたので、感染したと思われる場面を聞き出さなくてはいけません。やむおえない理由なら致し方ないのですが、そうでない方ももちろんいましたので、その方には今後は様々な場面でよく考えて行動してほしいものです(冗談なく死にかけてた人も多かったのでね。デルタ株の時は病院中の呼吸器が使用されているのに、救急車から呼吸状態が切迫しているから受けてほしいと連絡を何回も受けて「ないって言ってるだろう!無理だ!」と夜中に怒鳴っている医師たちいました。もう経験したくはないですね・・・)。
で、私は思うのです。「何回もって言っているけど、小池知事ほどは言っていないか・・・。」と。
実際、何回もというけれど、「何回言いましたか?」という質問をすると、5回も言っていないそうです。小池知事を超えるのはなかなか難しいようです。
指導というのは花を植えるのと一緒〜芽吹いた後を想像しよう〜
私が指導をしていて思うのは、指導をするのは花を育てるのに似ているなと思います。花は種を蒔いて、水をやったり、雑草を抜いたりととにかく手がかかるもの。種類によって育て方も考えたり変えなければなりません。最近の新人さんは、患者さんのところへ行くときにまずはものを揃える、片付けるから教えないといけません。ちゃんと準備できたら誉めます。ちなみに4月は元気に出勤してたら誉めます。来るだけで偉いのです。そして、そうやって手をかけても枯れてしまう花や、芽吹かない花もあります。それでも芽吹いた花が、いつか誰かのためになったり、新たな花を育てるかもしれません。違う土地で違う夢を見ながら生きることもあると思うます。でも、指導や教育ってそういうものです。大変だけれど、可能性を信じていきたいものです。
我が家の観葉植物です。水やり不要です
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