「水」が苦手だった私について〜一人暮らししたら味覚が進化した件〜

徒然草

毎日暑い日が続き、ニュースで熱中症に対する注意喚起がされています。私も出勤時や外出時には水か麦茶が入ったマイボトルを持参しています。そして今日、Xで気になる記事があったので考察してみました。水が飲めない子供が一定数いるという記事でした。

水が飲めない子が一定数いるんですね。そんな私も就職するまで水のペッドボトルを買ったこともなく、水が飲めない人間でした。そんな私がなぜ水を飲めなかったのか、どうやって克服したのかについてお伝えします。

烏龍茶一択だった子供時代

この記事にあるように、私の育った家庭でも水を飲む習慣がありませんでした。基本的に烏龍茶一択でジュース類や牛乳はあまり飲まなかったです。

烏龍茶一択には訳がありました。私の母は少し変わった人で普通の水を飲もうとすると「お腹を壊す」と怒り、ジュースや牛乳を飲もうとすると「誰が買ってきていると思っているの!」と怒るような人でした。唯一の烏龍茶ですら「作りもしないくせに飲むんじゃないよ」と怒る人だったので、小学生の頃には自分で沸かして飲むようにしていました(自分で確保する分には怒られないので)。そんな環境で育ったため私の中では飲み物=烏龍茶であり、麦茶すら飲んだことがありませんでした。ちなみに飲食店のお冷はお店が作ってくれる特別な水なんだと思っていました(世間知らずにも程がある・・・)。

そんな子供時代を過ごしていたので専門学校に通うようになって友人が水のペッドボトルを持っていることにびっくり。そこで私はお金を出してお水を買う人がいることにも驚きました。高級な水なんだなと思い、1本買ってみたのですが、ただ思ったことはひとつ。

「おいしくない。」

飲めなかったんです。とにかく気持ちが悪かったのを覚えています。これじゃない感がとても強かった。お店では問題なくお冷を飲めていたのにです。なぜかペッドボトルからの水だけ飲めなかったのです。その日購入したお水は半分以上破棄しました。勿体無い!

災害を見て訓練をしようと決意した日

全くお水が飲めなかった私。そんな私がお水を飲めるようになったのは東日本大震災があったからでした。私は被災地とは離れた場所で暮らしていたのですが、私が就職したのは東日本大震災が起きる約1ヶ月後。看護師となった友人の中には3月から就職前研修に参加している子もおり、自身による交通機関の麻痺により帰れなくなった子もいました。その時思ったのはひとつ。

「やばい。水が飲めないと看護師として生きていけない。」

何せ看護師というのは災害時にも出勤する職種です。最近ではDMATなんかは自身の際出動して知っている人も増えたと思います。ちなみに私の働いている職場は災害時には全員出勤が義務で、当面の食料を持参して出勤しろという場所でした。就職して初めての一人暮らしでしたので色々揃えるのが大変でした(その年に参加した同僚の結婚式の引き出物カタログで防災グッズを頼んだら、同僚から可愛いカタログにしたのにと怒られました)。で、災害用備蓄の水分ってやっぱり水が多い。水が飲めないと死ぬと思った私は、その日からお水になれる訓練をしました。最初は煮沸した水道水から。慣れたらペッドボトルの水にして。毎日飲めばなれることができ、水が甘くて美味しいことを知りました。今ではマイボトル2本のうち1本は麦茶。1本は水を入れてあります。ちなみに私は麦茶が好きです。甘くて美味しいので(烏龍茶はしばらく飲んでいません)!

味覚は家庭で育つ

記事にあった子供も水が味がしなくて飲みにくいのだそうです。また、水が苦手な子供の家庭はジュースなど飲むことが多いと記事にありました。私も水になれるのに半年くらいかかりました。でも、多分実家暮らしを続けていたら水になれることはなかったと思います(烏龍茶一択なので)。そして、一人暮らしをしてから自分好みの食事をするようになり、実は紅茶が好きだったことを知り、のんびりとティータイムをするのが趣味になりました。前は烏龍茶しか飲まなかったのに、味覚が進化したようです。味覚は生活する場所や家庭で変わるんだなと思った記事でした。自分の好きを明確にしていくときっと色々なことが広がるのだなと思います。これもご自愛かな。

seriaのシマエナガグッズは可愛いものが多いです

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