作家の大崎善生先生の訃報を聞き、素晴らしい作家さんがいなくなってしまったことが残念でなりません。
私は学生の頃、大崎先生の「将棋の子」という作品を読みました。将来を考える10代の学生だった私にこの内容はとても衝撃的だったことを鮮明に覚えています。
将棋の子というのは、よくある天才が活躍するような本ではありません。むしろその逆で、輝かしい天才たちの陰でその道を諦めた人々に焦点を当てた内容になっています。
才能と職業は別物であると私はこの本を読んで思いましたし、天才が天才で居続けるのはさらに難しく厳しいことを教えてくれる本です。
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大崎善生先生の「将棋の子」とはどんな本?
「将棋の子」は、奨励会という将棋の才能が認められた子供たちを集め、さらに一握りの天才たちの陰で将棋のプロの道を諦めていった子供達を描いた作品です。
自身の才能を信じ、普通の子供としての人生を捨てて、将棋の道に進む子供。その子の才能を信じて、住んでいる場所も、仕事も変えてその子を支え続ける家族。
才能を信じていても、その才能の集まりの中で、さらに才能の優劣がつけられます。自分の才能が本物なのか、わからなくなることもあるでしょう。
しかも、自分たちよりも若い中で、天才の中の天才(この時は羽生善治棋士)が現れるのです。自分たちよりも若い、だけど天才の中の天才に出会った彼らは苦悩の果てに挫折していくのです。
しかし、人生を賭けた選択から挫折した子供たちに待っているのは、普通の人ととしての人生です。
若い彼らには人生をやり直せる機会は十分にあると思います。直向きに努力してきた彼らには、別の道で努力する力があることでしょう。ですが、すべての子供たちがそうであるわけではありません。
この主人公は、11年後に筆者と再会したときに、その日暮らしをする大人になっていました。
愛してくれた家族を失い、家族が残してくれたお金も失って、彼の手元にあったのは家族の写真ではなく、好きな女優のブロマイドであったことに、人生や、愛の難しさを感じたものです。
そんな、厳しい将棋の世界と、人生の厳しさの中に、筆者の将棋への愛と、挫折していった彼らへ将棋という存在が彼らに与えたものが厳しさだけではなかったことをこの本は教えてくれています。
まさに将棋という世界を通して、人生を考えさせられる、一冊になっているのです。
将棋の子から見える才能と職業の違いとは
将棋の子で出てくる子供たちは、普通より秀でた才能を持っています。しかし、私は才能=職業だとは決して思いません。
無論、好きなこと、得意なことを職業にできることは極めて良いことです。人生の幸福度も変わってくるでしょう。
でも、才能があるからと、自分自身で道を閉ざしているのではないでしょうか?
私が、この作品で最もすごいと感じたのは、誰でもなく筆者自身でした。
大崎先生自身も1年でアマチュア最高位まで昇段する才能を持っている人でした。でも彼は、将棋界の厳しさや魅力を伝える仕事を選びました。彼は素晴らしい作品だけではなく、将棋が好きな子供たちに、自分の人生を持って、選択肢があることを伝えたのです。大崎先生が人生を持って将棋界に関わり、数多の作品を残したことは、将棋の子たちにとって道標になるのではないかと思います。
人生にはたくさん道があります。でも才能というもので人生を狭めていっていないのか、立ち止まり、視野を広げていかなくてはならないのです。
将棋の子から考える人生とは
今、スポーツの祭典であるオリンピックが開催されています。オリンピックこそ、天才の中の天才が集められた祭典です。
出場選手もたくさんの努力や苦労をしながら、立っているのだと思います。
私には、得意なことはあっても、秀でた才能はありません。
今できることが未来にできないなることだってあるでしょう。
でも、道は一つではなく、広い視野を持っていればなかった道が見えるかもしれません。そこに情熱や愛があればきっと価値ある人生を送れると思います。そして、それまで培ったものは無駄になることはなく、人生に活かせることができるとこの本を読んで思いました。
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