米騒動というと歴史の教科書に出てきたワードです。まさか令和の時代にこのワードを目にすることになるとは思いませんでした。私はふるさと納税で美味しいお米を購入していますが、日本の美味しいお米が食べれないのは悲しいことです。
おそらくお米がなくなるという情報から買い占めが発生しているのだとメディアでは放送していますが、人々の不安の持つ力はすごいなと思います。
どの時代、どの世の中にも人がいる限り「不安」は消えません。私のような看護師は病気という「不安」を常に抱えている人々との関わりなので、「不安」が人に与える影響の強さを目にしています。
私は「不安」を抱えた時は「自分の大切にする価値」を見つめ直すことのできる機会であると考えています。「不安」を自らに変える力を持つ人間でありたいです。
不安とは何かについて考える
看護師として、「不安」を抱える人と関わるとき、意外に人は自らが抱えている「不安」を言語化することができていません。
また、「不安」を自覚していない人もいます。
検温をしていたらボロボロと涙を流し始めた患者さん。
突然叫び出して壁を殴り始めた患者さん。
そんな方々と関わった時、意外にみなさんなぜ泣いたのか、なぜ叫んで殴ってしまったのか、自分でもよくわからないと話される方が多いです。
「不安」というのは不確実な脅威に対する心理反応です。つまり、わからないことに対して恐れを抱いていると考えることができると私は思います。
そういった方々には日々の関わりを通し、会話を通し、その人が抱えている不安を言語化し、知識を提供し、不安を解決できるように医療従事者は関わっています。
今回の米騒動も一時的にお米がなくなることで何が困るのか熟考した人はどのくらいいるのでしょうか?
私の父は透析をしており糖尿病もあるため医師からはパンよりもお米を推奨されていますが、日本人全員がそうではないでしょう。
江戸時代はお米は確かに大切でした。江戸時代はお米の価値は貨幣の価値と両立していました。しかし、令和の時代、お米に変わる主食はパン・パスタ・麺類と複数の選択肢があります。
お米を買い込んだ人はどのくらいの期間で買い込んだお米を消費することができるのでしょうか?買い込んだ量は果たして適切であったのでしょうか?
不安の多いこの時代、不安を感じた時こそ自らに問いかけ、自らにできることを考えていきたいものです。
米騒動から考える、自らへの問いかけ。
江戸時代の米騒動は民衆が抗議の声をあげることで、民衆の声の価値や力を政府に示す形となりました。時代を動かしたと言えるのだと思います。
現在は江戸時代に比べて社会や制度は目まぐるしく変わり、いつでもどこでも不安の種は落ちている状況になっています。
人は不安に立ち向かう力を持っていると私は思っています。自らの価値観を知り、不安と向き合い、自分の取るべき行動を考えながら、過ごしていきたいと思います。
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